目指せ霊感ぜろ脱出! スピリチュアルと日常漫画

ハロマル日誌

スピリチュアル漫画

No.84「人は死を予感する?父が亡くなった話」

更新日:

ご訪問いただきありがとうございます!
自身のスピリチュアルな経験や神社紹介、日常話を漫画に描いてお届けします!

2021年10月。
父が突然亡くなった。

時が経つのは早いもので、あっという間に五十日歳を迎え、やることが多く日々忙しく過ごしている。
今回は父が亡くなった経緯とちょっとした思い出話、亡くなった後に起きた霊的体験を綴る。
あまり暗くならないように書くつもりだが、もし「記事を読むのが辛いなー」と感じたり興味のない人は無理せず飛ばして下さいね。
長くなってしまったので、ゆるりとお読みいただければ幸いです!

そもそも父はどんな人物だったのか

まず私の父はどんな人物だったのか。
ブログの漫画で時々登場したが、漫画の中ではほとんど喋らなかった。
しかし実際は超がつくほどお喋り好きで、口から生まれてきたのではないかといつも疑うほどペラペラと喋った。
(父の母とその姉妹もとてもお喋り好き)
夕食の際は父と私が様々なことをベラベラと喋り、だんだんと白熱し声が大きくなってくると、母が「テレビの音が聞こえない!」と怒ってヘッドホンをつけるということがしばしば起こった。叱られた後は、二人揃って黙ってご飯を食べた。

性格は割と陽気、何かを作ることが好きで歴史や政治に関心が強かった。
味噌汁や野菜炒めを作るのが得意で、家の猫たちを触りたいが逃げるので無理やり捕まえて嫌がられていた。
最近は妹の子ども(孫)の成長を楽しみにしていて、孫は可愛いーと言ってたな。
それからここ数年は棋士の藤井聡太さんを熱心に応援していて、父の影響から私も最近将棋を覚えた。
私が将棋を本格的に覚えたのは今年に入ってからで、夏頃一度だけ対局したことがあった。
その時はぼろ負けで、父に「2年後勝負しよう!その時は強くなってるはずだから」という会話をしたが、結局その一度きりだった。
父が亡くなってからは、私が代わりに藤井聡太さんの対局を観戦して応援している。(応援しなくても滅茶苦茶強いけど、対局画面をつけていると喜ぶ気がするから。自分の勉強にもなる)

あとは…宗教やスピリチュアルなどの精神世界に関しては、父は一切信じていなかった。
時々家に宗教を布教するお姉様方が訪問することがあったが、父は喜んで対応していたらしく、後から「いろいろと言ってやったよ〜」なんて話していたのでお姉様方には悪いことをしたと思う。
私がいろいろな場所の神社仏閣へ行ったり、霊的な話を母にすると度々「あんたは宗教家か!」と言われた。

父のことはざっとこんなものだろうか。
こんな父だが、思い返すと亡くなる1年前辺りから行動に変化が生じたと言える。
本人は霊的なことを信じていなかったが、魂は知っていたとしか思えない。

父が亡くなった時の状況

さて、ここからは少し話が重くなる。
けれど父と同じような体調の人や状況になった時、知っていると少しは役立つかもしれないので頑張って書くぞ!

まず父が亡くなった原因は『急性心筋梗塞』で、心臓の冠動脈が塞がることで血流が止まってしまうもの。
早期に発見処置できれば軽傷で済む人もいるし、重症の場合は父のように亡くなる怖い病気だ。
父が倒れた状況を説明すると、23時ごろ父はトイレに降りてきたが、しばらくしてトイレから「ゴッ!」という鈍い音がした。
母がその音に気づいてトイレへ行くと、父が倒れているのを見つけて急いで119へ電話した。
母が電話を繋いでいる間、私は父をトイレから引っ張り出し、父の呼吸を見て「あ、これダメなやつだ」と思ったのを覚えている。
(チェーン・ストークス呼吸といって、大きい呼吸と小さい呼吸をして無呼吸になる状態だと生存率がとても低いと以前本で読んだ)

父の意識が完全になくなり、心臓マッサージを開始したが心臓は止まったまま。
段々と父の体が冷たくなってきたが、救急車が到着するまでなんとか続けて頑張った。
10分以内に救急車が到着し、隊員の方が電気ショックを数度試みるも戻ってこず。
気が動転している母にいくつか指示をして、父の保険証とお薬手帳、自分の財布と携帯を持って救急車に飛び乗り病院へ。
不思議なもので、父が亡くなる一週間前にどうしても父の持病と服用している薬の種類が気になって、血液検査の結果と一緒に資料を借りて読んでおいた。
救急隊員の人やお医者さんにあれこれ聞かれたが、この時の資料があったおかげで薬の名前や持病が全て言えた。(少しでも役に立ったか分からないが)

母も後から車で病院に到着し、画像を見ながら当直医の説明を受けると、父の心臓は見事に詰まっていた。
「残念ながらもう自発的に心臓が動くことはありません。出来うる限りの処置は施しましたが、この機械が停止すると同時に死亡ということになります…」と言われ、助からなかったんだなーと理解した。
機械がいつ止まるのか分からなかったが、夜も遅かったので一旦家へ帰り、母には仮眠を取ってもらった。
早朝、少し離れた場所に住む祖母の家へ向かい、混乱する祖母を連れて病院へ向かい、昼ごろ父の最期を見守った。
父の亡くなった日はこのように突然だった。

父が倒れて心臓が止まった時、ある光景と重なった。
父が亡くなる約二週間前、祖母の家から帰る途中、隣で運転していた父が「あ!猫が轢かれた!」と言った。
どうやら対向車線の車が猫を轢いたらしく、その日父は「俺は今日はいつもと違う道で帰るよ!」と普段使わない道を選んだ結果、見てしまったらしい。
まだ息があるかもしれないから!と父を説得し、急いで来た道を引き返してもらった。
現場に戻ると路側帯(外側の白線)の近くに猫が横たわっていたが、すでに息絶えていた。
このままでは再度轢かれるかもしれないからと猫を抱きかかえてみると、ついさっきまで生きていた証のように体はまだ温かかったが、ただの器に戻ったような…魂ここにあらずという印象を受けた、確かに先ほどまでそれは猫だったもの。
でも魂はすっかり抜けてしまった感覚だった。
父が倒れて感じたのは、その猫と同じで"器から魂が抜けてしまった"という気がした。
「病院で亡くなると魂がそこに留まってしまう人がいる。だから肉体を連れて帰る時は、一言『帰るよー!』と声をかけてあげるといい」という話を聞いたことがあるが、父の場合は明らかに家で魂が離れたと感じた。(病院から葬儀場へ父を運ぶ時、一応「帰るぞ」と声はかけた)

そもそも前兆はあったのか?という話をすると、前兆は「あった」と言える。
それを語るには少し長い話になってしまうが、興味のある人は付き合ってくれると嬉しい。
去年の冬頃、父は健康診断の結果を見たかかりつけ医から「白血球の数値が以前よりもずいぶんと低くなっていますね!病院紹介しますから、ピロリ菌の除菌をしてはどうですか?」と言われた。
父は病院が大好きで、健康のためにと紹介してもらった病院から処方をもらいピロリ菌除菌薬を飲み始めた。
ところが薬を飲み始めて2日目頃から、高熱が出て体調が悪くなり始めた。
数日は我慢していたが、耐えられなくなり処方した病院へ行くと即入院に。
「好酸球性肺炎になってます!それから胆嚢炎も起こしているかも!命に関わりますので胆管の切除が必要かも!」と入院先で言われる。
精密検査の結果、胆管の切除は必要なく、ピロリ菌はいなくなったが白血球の数値がほぼ0になったので難病指定を受けるように言われ、三週間後に退院。(コロナなので当然見舞いに行けず)
退院した頃には、すっかり体力がなくなり10kg痩せて帰ってきた父。

父と私は約一週間に一度祖母の家へ行くことにしていた、祖母は祖父亡き後一人暮らしで、一緒に買い物したり昼食を食べて過ごした。
退院後、祖母と父と私の三人で買い物へ行くと「俺はもう車に戻ってるよ!」と早々にバテることが増えた。
あまりにも父の体力が衰えたので、私と父は夕食後に10分程度の散歩を開始した。
それから父の健康面を考え、私は健康茶を勉強し始めた。自分の虚弱体質改善のためもあるが、父の体調が少しでも改善したらいいとあれこれ飲んで試した。
父は以前は暑がりだったが、今年の2月頃から「足が冷えるよー」と言って夏も靴下を履くようになった。
9月頃になると、父は5分の散歩にも耐えられないようになっており、あまりにもダルそうなので散歩は中止にした。
そして亡くなる三日前、私と母の勧めで循環器内科で心臓を見てもらったが異常は見つからなかった。
倒れた当日、かかりつけ医の紹介で大きな病院で全身検査してもらうも、やはり何も見つからなかったと嬉しそうに話していた。
ブログを書いていて思い出したことが一つ。
父の横顔をちらっと見た際に、耳たぶに縦線が入っていることに気づき父に「耳たぶに線が入っているよ!この線はよくないって聞いたことがあるからマズイのでは?」という話を7月頃にしたと記憶している。(耳たぶは体の血流が悪くなると、脂肪細胞が減って縦線が出るのだそう)

言いたいことはいろいろあるが、一番は運が悪かったとしか言えない。
(ちなみに父は新型コロナにもかかっていないしワクチンも打っていなかったので、どちらも関係なし)
医者が全員ヤブだったとか、ピロリ菌の薬で良い菌は全部死んでしまったのだろうかとか、その症状は薬害ではないかとか、母も私も強く思った。
時々こんな話を聞く、病院を訪れた患者が「自分の症状は〜ではないか?」と調べたことを話すと怒る医者がいるという話。
でも自分の体のことなんだから、調べて当たり前だと思う。
今飲んでいる薬やこれから使用する薬、現在の症状や自分の状態を知ることが悪いとは到底思えない。例え調べたことが間違っていたとしても、調べること自体は決して無駄ではない。

それとこれは素人の意見なので大目に見てほしいのだが、薬と毒は表裏一体だと思う。
薬や医者が万能だと思っている人は結構いるけど、果たして本当にそうなのか?と常々考える。
例えば私は喘息持ちで、喘息にはステロイドが使われる。(多くの病気にステロイドが使用されるね)
苦しくなるとシュッと吹き出る吸入器を使い、器官を広げて呼吸を楽にする。喘息の薬はずっと使い続けないといけない…というのが現代医学の常識だが、これが200年後には根本から変わっている可能性は大いにあると私は思う。
19世紀のウィーンで活躍した医者、センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプの話を思い出す。(ここでは割愛、当時の常識は現在の非常識というやつ)

話が逸れたが、心臓マッサージはいざという時のために覚えておいて損はないと思うぞ!
私の場合、自動車教習所で心臓マッサージの実技があったのでやり方を覚えていたが、まさか使う日が来ようとは。(残念ながら役には立たなかったけど)

亡くなる予兆?この一年で父がとった行動

上記に書いた通り、父は見えない世界には関心のない人であった。
しかし思い返してみると、この一年間の父はまるで亡くなることが予定されていたかのように行動したのでは?と感じたことが少なからずある。
いくつか思い当たる例を書いてみる。

・部屋の掃除を頻繁にしていた
・エンディングノートを書いた
・今まで連絡を取っていなかった人たちとの交流を再開した
・「俺が死んだらあんたが〜してくれよ!」と言うことが増えた
・家族に必要のあるものを全て購入(用意)していた

部屋の掃除はここ一年特に頻繁にしていて、今まで大事にしていたものを手放したり「自分が死んだら見てくれ」というラベルを貼ったファイルがたくさんあった。
朝から隣の部屋がドタバタ音がうるさくて、何度目が覚めて怒ったことか。

エンディングノートは以前から持っていたのは知っていたが、情報が最近のものばかりだったので今年書いたのだと思う。
このノートのおかげで随分と助かったことも多く「引き落としされるもの」「自分が死んだら(葬儀含め)どうしてほしいか」など詳細に書かれていた。
私と母も父を見習いエンディングノートは毎年書いて更新しよう!と、早速百円ショップで買ってきたぞ。

それから会社関連で仲の良かった人、お世話になった人や父の弟など、ここ一年で連絡を取り始めた人がたくさんいたようだ。
ありがたいことに父の葬儀には会社の元同僚や友達が多く参列し「最近SNSでお父さんから連絡もらったんですよ!」と言う人がとても多かったこと。
弟とやりとりを始めたのもここ一年だったそうだからビックリだ。

「俺が死んだらあんたが〜するんだぞ!」は最近の口癖で、特に祖母のことを気にかけていた。
祖母は、8年前に祖父が亡くなってからずっと一人暮らしで、最近は認知機能に衰えが見え始めたので免許を返納したばかり。近くに店はないし、たぶんここ数年間の祖母に関しては、孫の自分が一番よく理解できているはず。
実際問題、父なき後は代わりに母と二人で祖母の家を訪れるようになった。
なぜ母と二人で行くのかって?何を隠そう、ペーパードライバーなんだぞ!
(気づけば運転しないのにゴールド免許)
母の疲労を少しでも軽減するため、そして何かあった時にすぐ祖母の元へ行けるように、来年の2月頃を目処にぼちぼち運転の練習を始めるつもりだ。

「家族に必要のあるものを全て購入(用意)していた」というのは言葉のままで、父自身はあまり使わなかったけれど私や母が今後必要になるものを熱心に買い集めていた…というと伝わるだろうか?
道具や車(安全装置のついたもの)など、必要なものはしっかり残していった。

父が亡くなった後の霊的体験

父が亡くなった後「これは霊的体験では?」と感じることが増えた。

・霊的な父の夢を見る
・亡くなった後、しばらく父の気配がした
・人を介してメッセージを伝えてくる

以前ブログで妹の子どもに関する霊的な夢(予知夢)を見た!と書いたが、父の夢もそれに似て霊的な夢だと分かる。
父に関する霊的な夢は現実のように超リアルで(鮮明な色合い、声もはっきり聞こえる)、起きた時に普通の夢ではないと感覚で理解できるから不思議だ。
今のところ3回見たかな。どれも短いメッセージを話していたこと、そのうち1回は父の部屋の物に関する夢で起きてから確認した。
夢に出てきた父は、10歳くらい若返っていた。

父が亡くなってしばらくは家の中に気配を感じる時があった。
そこに"いる"という感覚で、特に亡くなって2〜3日は強かったように思う。
でも五十日祭(四十九日)を迎える頃には、すっかり気配がしなくなった。
これは霊的な夢の中で見たもので「俺は死んだんだ」と本人が話していたので、きちんと上がれたのだろう。

人を介してメッセージを伝える…少し笑える話で、父は実に"かまってちゃん"だった。
部屋にいると「今何してるんだい」と話しかけてきたり、何かを作るとすぐに見せてきて褒めてもらおうとする、私が居間にいると話すために部屋から出てくる…という具合だった。
エンディングノートの話を書いたが、父はノートの最後に「あぽろへ、俺のブログを見てくれ」と記していた。
生前も頻繁に「俺のブログ見るかい?」と言っていたので、余程見てほしかったのだと思う。
そんなわけで見事に無視していたのだが、先日父が仲良くしていた会社の元同僚から「お父さんのブログ知ってますか?素敵なブログなので是非見て下さい」と電話があった、なんて親切な人だろう。
父よ、そこまでブログを見てほしいのか!?人を使ってメッセージを送ったな!と直感した。
まだ私は見ていないが、母は父のブログを読み始めたようだ。
ブログは消える可能性があるので、なるべく早く読んであげなきゃなーとは思っている。(どうやらオヤジの日常ブログらしい、あまり興味はないのだが…)
死んでもなお構って欲しいというのが、何とも父らしい。

まとめ

父が亡くなり早3ヶ月が経とうとしているが、私は特に悲しんでいない。
生きとし生けるものは必ず死ぬというのが頭にあるからなのか(自分だっていつかは死ぬ)、はたまた父の気配を感じたり夢の中で会うからなのか、理由は分からないが寂しさや悲しさはやはり感じない。
若い子が亡くなると苦しいが、例えば戦国武将や昔であれば父の年で亡くなってもおかしくはない。
ただ亡くなったばかりの頃は、父がトイレで倒れた光景や母の叫び声が頭の中で繰り返されて嫌だった。それも今では思い出さなければ随分と薄れたのでよし!
そもそもスピリチュアルとか霊的世界を今後も修行するならば、父と交信することも可能になるのではないか?と感じるのだがどうだろうか。(たぶんやらないけど…って書くと「やってくれよー!」と言いそう)

母も私と同じくそんなに悲しんでいる様子はないかな。
父が亡くなったばかりの頃は、食卓がとても静かで「父がいないとこんなに静かなんだね」と話してはいたが、本人も「悲しくはないが寂しくはある」と言うくらいだから大丈夫だと思う。
問題は祖母で、先日会った時「お父さん(祖父)の時は最期が介護だったし悲しくなかったけど、息子は突然死んじゃったから悲しくて思い出すと涙が出る」と。
いつまでも悲しんでいると気になって上がれないから、おばあちゃんが元気でいることが大事だよ!と励ましたが、ショックが大きいようで心配だ。

とにかく人が一人亡くなるというのは大変なことだと身に染みて分かった。
そして今年は妹夫婦が帰省することが決定し、2歳児の姪も来るのでそのために家中大掃除している。
今まで人が訪れたり泊まったことなどなかった家で、物だらけの部屋を毎日「うぉおおおっ!あれもゴミ、これもゴミ!!」と怒りに任せて掃除している。(なぜか知らないが大掃除していると怒り、赤黒い感じの気が出てイライラし始める)
当然父の洋服などもバンバン捨てているわけで「それも捨てるのかい!?」という声が聞こえてきそうだ。
やることがたくさんあり、母も私もしばらくは忙しいだろう。

というわけで今回は父の話でした!
もし体調に不安のある方は、病院へ行くなり(病院は一つである必要はないこと、そして医者には良い医者もいれば当然悪い医者もいること)自分の症状をきっちり知ることが大切だと思います。
皆様ご自愛くださいね!

スポンサードリンク

-スピリチュアル漫画
-, ,

Copyright© ハロマル日誌 , 2022 All Rights Reserved Powered by STINGER.

//投稿ページ日付表示の変更 2021/12/11/